西川辺

西川辺の歴史

兵庫県神崎郡市川町、​西川辺​(に​しかわなべ)。
千年前の​帳面に​載る​「川辺」の​名を、いまに​継ぐ村。
市川町役場が​置かれた、​町の​まんなかでもあります。​

郷名千年——和名抄の「川辺郷」

平安時代に​編まれた​辞書​「和名抄」に、​神埼郡の​郷の​ひとつと​して​「川辺郷」の​名が​記されています。​西川辺は、​この​千年前の​郷名を​受け継ぐ​土地​(遺称地)と​されています。​中世には​「川述​(かわのべ)郷」と​呼ばれ、​天正7年​(1579年)の​文書には​「西川述村」の​名で​登場します。​川の​ほとりの​村——名前が​そのまま、​村の​来歴を​語っています。​

街道の村

西川辺は​市川の​左岸に​位置し、​村の​中を​生野街道が​縦断していました。​明治の​はじめ、​生野銀山と​飾磨の​港を​結ぶ​「銀の​馬車道」​(明治6年着工・明治9年完成)が​この​道筋を​引き継ぎ、​鉱石を​積んだ​馬車が​村を​行き交いました。​人と​物の​流れる​道すじに​あった​こと​——それが​この​村の​性格を、いまに​いたるまで​形づくっています。​

お寺で始まった小学校

明治5年​(1872年)、​学制発布の​年に、​村の​長昌寺を​仮校舎と​して​小学校が​開かれました。​弘明小学校、​川辺尋常小学校と​名を​変えながら、​校舎は​西川辺と​東川辺の​あいだを​行き来し、​昭和31年​(1956年)から​現在の​西川辺に​落ち着きました。​150年あまり、​川辺の​子ども​たちの​学び舎で​あり続けています。​

川辺村、九つの村

明治22年​(1889年)、​西川辺・​東川辺・浅野・小畑・西田中・北田中・上田中・保喜、​そして​屋形——九つの​村が​ひとつに​なり、​神東郡川辺村が​生まれました。​明治29年​(1896年)に​神東・神西の​両郡が​合わさって​神崎郡に。​昭和30年​(1955年)​7月、​川辺村は​瀬加・甘地・鶴居の​3村と​合併して​市川町と​なりました。​

町のまんなかへ

市川町役場は、​いま西川辺に​あります。​平成12年​(2000年)には​文化センターが​開かれ、​650席の​ひまわりホール、​図書館、​そして​市川町出身の​脚本家・橋本忍​(『羅生門』​『七人の​侍』)の​記念館が​併設されました。​千年の​郷名を​継ぐ村は、​いまも​町の​まんなかであり続けています。​